存症

 

就寝のためにベッドの枕もとのランプの灯を消し、クラレットはベッドにぽふっとうつ伏せに倒れこんだ。そして枕を引き寄せて、それに顔をうずめ長い吐息をはく。

(いつからだろう?)

 声に出さず心の中で彼女はぽつりと呟く。困惑、恥ずかしさと嬉しさ、そんな表情がないまぜになって彼女の顔に浮かぶ。

 

 どうしたということはない。今日も平和な一日をこのフラットで過ごした。そのフラットでの生活を振り返っていただけだ。果たして何が「いつから」なのか。それはハヤトに起因する。

 後に無色の派閥の乱と呼ばれる戦いが終わってからひと月。イリアスたち騎士団やマーン三兄弟たちは事後処理に追われていたが、それを手伝っているレイドを除きハヤトたちは平穏な一日を過ごしていた。

 だから、クラレットはハヤトに訊ねた。元の世界には戻らないんですかと。エルゴの力と加護を受けている彼ならば、エルゴと意思を疎通させれば元の世界に戻ることはあまり難しいことではない。けれど、彼は静かに首を横に振ってこう言った。俺はまだ此処で学びたいことがいっぱいあるし、それにまだ帰る心の整理がついていない。いつかは戻らなくちゃいけないと分かってるんだけどね、と。

 

「いつかは戻らなくちゃいけない」

 その言葉を聞いたとき、不意にクラレットの胸に悲しさと切なさがこみ上げてきた。そうだ、私も彼が戻ることを望んでいる。私が彼がこの世界に来たきっかけなのだから。だから彼を戻すために今まであれこれ彼が戻るための方法も探してきた。

 しかし、同時にそれとは反するように、クラレットは彼にずっとこの世界に留まって欲しいと思った。そして一緒にいて欲しいとも。そこではたと気がつく。

 いつから自分はこんなにも彼が必要不可欠になっていたのかと。

 思えば戦いが終わってからは、四六時中彼と行動するようになっていたように思える。以前も何度か一緒に行動はしていたが、その比ではない。暇があればずっと彼の傍にいた。それは「いつか帰る」ということを認めてしまっていたからかもしれない。認めたくない事実なのに認めてしまっている。二背反律だ。だからだろうか、ますます彼のことを想うようになっていた。

 しかし、同時にそんな自分を嫌悪していた。何を勝手に、彼に迷惑だという思いもあったし、自分がどうしたいのかもはっきりさせずにこうして迷っていることにも。

 ふとそこで思う。もし彼が私だけ見てくれるとしたら、もし彼が私だけのものになったら。クラレットは枕に顔をうずめたまま首を左右に動かし、その考えを打ち消そうと考えた。バカらしい、そこまで卑しい女にはなりたくない。しかし、そう思いつつもそれを否定しきれない自分がどこかにあった。

 彼女はもう一度長い吐息をはきだすと、そのまま瞼を閉じて眠りについた。

 

 

 

 次の日もクラレットはハヤトとともに行動していた。今日は釣りにいくらしい。今日も大物を釣るぞー! とハヤトは意気込んでいる。そんな彼を輝かしく思いながら、ふいと昨夜の否定した思いが首をもたげてきた。彼がすぐ横にいるというのにはしたないと、クラレットは己を戒めたと同時に顔を真っ赤にさせる。そのハヤトはというと、釣りに対する意気込みをクラレットに熱く語っていた。

 

 それからアルク川に着いて、彼らは数時間釣りを楽しんだ。と言ってもクラレットは釣りをしているハヤトを眺めているだけだったのだが。ハヤトは楽しんでいるんだろうか、と不思議に思って彼女に見ていて面白いか、と訊ねた。それにクラレットはもちろんですよと答える。ハヤトが一体どんな大物を釣るのか楽しみです、と。しかし、それは上っ面の理由でしかない。勿論それも正しいが、本当の理由は彼を眺めていたかっただけだった。彼が元の世界に戻るまでに一瞬一瞬彼の姿を自分の脳に焼け付けるように。だが、そんな思いに気付いていないハヤトは苦笑をもらしてそれじゃあ頑張らないとな、と一層釣りに向けて熱意を燃やした。

 その結果からか、大きめな魚が何匹か釣れた。意気揚々とバケツにいれた魚を手にしながらハヤトはクラレットの一歩前を歩く。

 

(私は何度もこの背中を見てきた)

 ふいとハヤトの背中を見ながらそんなことを思った。今まで彼に護られることが多く、その背中を見続けてきた。最初は威勢だけのもので頼りないものだったが、次第に彼が成長するとともに、それは大きく広く見えるようになってきた。それだけ彼に頼っているということを実感もした。

 そして急に彼を抱きしめたい衝動に駆られた。この背中を、ハヤトを失いたくない。離れたくない。消えないように捕まえておきたい。クラレットは何かを覚悟したような表情を浮かべると、意を決したように口を開いた。

「広場に寄って行きませんか?」

 

 

 すでに夕陽は沈み、辺りは闇と化していた。人影は見受けられず、そこにいるのはハヤトとクラレットのふたりだけだった。

「どうかした、クラレット?」

 昼間ならともかく、こんなひと気のない場所に来てどうするのか、まったくもってハヤトには予測もつかなかった。訊ねられたクラレットは俯いたまま彼の手をひいて茂みへと入り、ドンッと少しばかり強い力で彼を木に押し付けた。

「ク、クラレット?」

 いつもの彼女らしからぬ強引な行動にハヤトは戸惑いつつ、どぎまぎしていた。急接近してきた彼女の髪からはいつも使用しているであろうシャンプーの匂いが漂ってくる。

「貴方はいつか帰らないといけません」

 クラレットは顔を俯かせたまま、まるで独り言のように呟く。少しだけ考えたのちハヤトは頷いた。元の世界には彼の両親がいる。どんなに此方の世界が好きだと言っても、両親をこのまま放っておくほど彼は親不孝な人間ではなかった。だから、どんなに別れが辛くても、いつかは帰らなくてはならないとハヤト自身もどこか覚悟していた。

 ハヤトの頷きを見たクラレットは少しだけ顔をあげ、上目遣いに彼の顔を見上げた。

 

「―――私じゃ、ダメですか?」

 

 一呼吸おいてからそういうと、彼女は彼の手を引っ張り自分の心臓の上に位置する胸の上に誘った。

「私じゃ、貴方がここに残る理由にはなりませんか?

 私は貴方といつまでも一緒にいたい。今だって…ほら、貴方といるだけでこんなにも胸が高鳴っているんです」

 再び彼の顔を見上げると、ハヤトは驚愕と恥ずかしさと困惑が混じったような表情を浮かべていた。それを見てクラレットは自己嫌悪に陥った。私はなんて卑怯でむごいことを言っているのだろうかと。彼だって自分のことは兎も角、フラットのみんながいるこの世界から帰りたくないはずだ。それなのに、元の世界と天秤にかけたようなことを言って、私は酷い。クラレットはため息をつくと、それでも、と思った。彼と離れたくない、一緒にいたい、この気持ちは偽りがない。本当の心だった。

 この気持ちを恋だというのならば、クラレットは環境のためか、今まで一度も恋をしたことはなかった。けれど、この青年に出会ってからすべてが変わってしまった。色々なことを教えてくれ、様々なことを一緒に体験した。そんな彼がいつしか、クラレットにとって切っても離すことの出来ない存在となっていた。クラレットは、彼にとっても彼女自身がそうであることであるように願っている。

 もし、彼がいなくなってしまえば、自分は間違いなく絶望にうちひしがれるだろう。大げさかもしれないが、クラレットにとってはまんざら大げさでもない。それほどまでにも彼女はハヤトに大きく依存してしまっているのだ。

 だから、どんなに酷いことを言っても彼をつなぎとめておきたい。その結果、卑しい女だと思われても。

 

 しばらく沈黙が続いた後、ハヤトは悲しそうに首を左右に振ると彼女の肩に両手を乗せた。

「―――クラレット、それは、できない・・・」

 当たり前と言えば当たり前だろう。クラレットはハヤトの言葉に絶望を感じるとともに、少しだけ嬉しくもあった。ここで平気で自分を取ってしまうような彼ならば、好きになったりはしなかっただろう。けれど、それでも悲しいことは悲しい。

 

「ならば、約束してください。絶対ここに、リィンバウムに…フラットに戻ってくるって」

 クラレットはついて出た自分の聞き分けの良い言葉に吃驚していた。ハヤトも多少驚いているようで目をまん丸にしている。だが、すぐに彼は微笑むと力強く―クラレットが戦いのなかで何度も見てきた強い意志のこもった表情で―頷いた。

 

 

「ああ、約束する。 絶対に此処に戻ってくるって。―――誓約者の名にかけて、ね」

 

 

 それから数日後、彼は旅立ってしまった。クラレットはさよならとは言わず、いってらっしゃいと言葉にした。それは必ずハヤトが約束を守ってくれると信じていたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして彼が旅立ってからひとつの季節の巡りが廻ろうとしていた。

 クラレットはシャワーを浴びながら、もうそんな日かと思い馳せていた。けれど悲しくなることはなかった。彼は必ず戻ってくると確信していたから。それに約束を破るようならこちらから行くまでだ。いつまでも帰ってこなかったら驚かせてやろう。クラレットは彼女にしては珍しく意地悪そうな笑みを浮かべてくすくすと笑っていた。

 一年経って、自分がここまで彼のことを信じきっていることに驚きはなかった。やはりそれは彼に依存しているからなのだろう。彼がいなくてはクラレットという個人は成り立たない。だからハヤトが戻ってくることを信じるのは陶然のことだと、クラレットは思っていた。

 と、その時彼女は辺りの魔法力の漂いが崩れるのを感じ取った。通常、魔法力の漂いが崩れるのは召喚術を使うときだけだ。しかし、当のクラレットは召喚術を使うためのサモナイト石どころか、何も纏っていない状態だった。

 まさか、とクラレットは焦燥する。いくらなんでもタイミングというものがある。このままでは最悪の展開に――

 クラレットが慌てて脱衣所に戻ろうとしたその時大きく何か爆ぜるような音が浴室に鳴り響いたかと思うと煙がもくもくと立ち上がり、充満した。

 遅かった―彼女はそう思いながら身を硬直させた。

 

「クラレット、俺・・・約束守りに来たよ――――って、へっ?」

 煙が晴れ、見つめ合うよれよれのカッターシャツに学生ズボンの青年と、生まれたままの瑞々しい身体をさらしている女性。

「〜〜〜〜〜っ!!」

「・・・・・・・・・」

 ひと置きの沈黙があったあと、女性は静かにバスタオルを身に巻いて、ぺちんと力の抜けるような音で青年の頬を叩く。そして顔を真っ赤にさせたまま俯いてこう言った。

 

「は―――ぁ、私の裸、見た責任取ってもらいますからね。ずぅっと、ずぅっと、一緒にいて貰うんですから」

 奇妙なシュチュエーションのなかでの女性からの告白。青年はどうしたらよいのか迷ったあと、彼女の身体を引き寄せて抱きしめた。

 その数十秒後、爆音を聞いてかけつけた赤毛の女性に、青年はもう一つ強烈なビンタを貰うことになるのだが。

 

 まあ、めでたし、めでたし、ということで。

 

 

あとがき

 クラレットさんの依存っぷりをば、書いてみました。

 やはり主人公にとって、元の世界に戻るかどうかは苦渋の選択ではなかったのではないかと思うのです。

 リィンバウムも住み心地よい世界だけれども、かといって元の世界に戻らないわけにもいかない。

 パートナーEDでこそ、パートナーは追いかけてきてくれましたが、元の世界に戻るということは、フラットのみんなとは二度と逢えなくなるわけで。

 が、パートナーEDはそれを打ち破るほどの、パートナーの主人公に対する依存っぷりが発揮されたと(ぉぃ

 なかでもクラレットさんはそういう感がありふれてたので、こういう展開に。

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