求者

 

 ――青い空。輝く太陽。広大な大地に覆い茂る草花たち。

 少年、ハヤトの世界ではあまり見られない風景だった。高層ビルが立ち並び、空を覆い、太陽は隠れ、緑は削られていく、そんな世界だった。

 だから、この世界、リィンバウムに召喚されたときは目を見張った。世界が広い――とでも言うのだろうか。

 自分の世界とは違い、見るもの全てが新しく感じられた。

 だがしかし、もちろん、元の世界が恋しくないわけではない。其処には、自分の両親がいることは勿論、彼が生まれ育った馴染み深い街はやはり思い入れが深かった。

 

 どちらも大切な世界。だけど、ハヤトにはそれらがどこか遠い存在であるかのように思えた。手を伸ばせば届きそうな距離にあるというのに、つかめない――そんな感覚を感じるのだ。

 その原因は彼自身でも理解していた。

 

 自分は何のために生きているか、それがハヤトを悩ませていた。

 

 もちろん、そんなことで悩むのは彼に限ったことではない。モラトリアムの時期を生きる少年少女にとっては、大きな課題であり、悩みのタネである。

 未だ、それを見つけられていない大人だっている。ハヤトはそんな大人たちを何人も見てきた。

 社会に縛られて、自分のしたいこともできず、ただただ惰性的に金を稼ぐためだけに仕事をする人間や、それが行き過ぎると悪事に手を染めるような人間。

 本当は充実している環境に住んでいるはずなのに、それを実感できない不幸な人間たちを見てきて、ハヤトは改めて自分が何をしたいのかはっきりさせておきたかった。

 そうでもしないと、自分という存在が希薄になってしまうようで、怖かった。

 

「――まぶしぃ…」

 草の絨毯に仰向けに倒れて空を眺めあげるハヤトの顔に日光が当たり、彼は掌を太陽へと向けて日光をさえぎった。

「はぁ……参ったなぁ」

 瞳を閉じて軽くため息をつく。そよ風が己の身体を吹き抜けていくのが感じられた。

 

 無理して探しても見つからないようなことであるとは、彼自身も知っている。だが、だからといって止められるようなものではない。

「………どうしてだろうな」

「何がです?」

 ハヤトの呟きに突然、声が返ってくる。ビックリして見上げると、そこにはよく見知った少女がいた。

 ―――クラレット。

 ハヤトは声に出さず、心の中でその少女の名を呼んでみる。彼女はにこりと笑みを浮かべ、髪をかき上げてハヤトの顔を覗きこんでいる。

「どうしたんだよ、クラレット?」

「あら、それはこちらのセリフですよ、ハヤト。リプレがまた忙しそうに家事をしてるのに、手伝ってあげないんですか?」

 そう言われて、ハヤトは言葉に詰まる。年がら年中――と言ってもまだ数ヶ月の付き合いだが、彼女が毎日忙しそうにしているのは彼も知っていた。

 だから、そんな彼女の仕事を手伝いもせず、こんなところで油を売っているのは、バツが悪いように思え、思わず顔をしかめた。

「……ちょっと、昼寝。そういうクラレットこそ、リプレ手伝わなくていいのかよ?」

「ええ、私はじゅーぶんっにお仕事させていただきましたから」

 まるで、何の手伝いもしなかったハヤトにあてつけるかのように、「十分」という言葉を強調させて、クラレットは意地悪そうに笑う。

 そんな彼女にハヤトは苦笑してしまう。それから、隣をぱんぱんと叩いて座るように促す。

 クラレットは促されたまま、その場に腰を下ろした。

 

「…本当にどうしたんですか、元気がないようですけど?」

「――えっ」

 クラレットは此方を見ず、真っすぐ先を向いていた。だから一瞬独り言かとも思ったがそうでもないらしく、此方の言葉を待っているようだった。

「分かった…?」

「ええ、もちろんです。いつも無茶ばかりをしてるハヤトを見てるんですから、そのくらいは私でなくても、ガゼルやリプレだって悟ってるはずですよ?」

 だから、私はその代表として貴方の様子を見てきたんです、とクラレットは言葉を付け足した。それを受けて、ハヤトは本当に参ったなぁといったかのように、多少困ったような表情を浮かべる。

「やっぱり、皆にはバレるか…」

「それだけ、ハヤトは心配されてるってことですよ」

 前に顔を向けたままにっこり微笑み、クラレットは目を細めて気持ち良さそうにそよ風を受ける。

「だとしたら、皆に迷惑かけてるなぁ……ただでさえ色々と厄介ごと引き起こしてるしさ、俺」

 そういいながらハヤトは苦笑する。思えば迷惑をかけっぱなしだったなぁと。

「いいんじゃないんですか?」

 クラレットの言葉に、ハヤトは分からないような表情を浮かべる。

 

「だって、私たちは家族なんですから。お互いさまですよ、それって」

 

 その言葉に、ハヤトは感心と驚きがない交ぜになったような顔になる。クラレットの言うことはなるほどと思う。一つ屋根の下で生活している仲間たち、言い換えればそれは家族。家族ならば、お互いに助けあっていくのが普通なのだと、彼女は暗に言っているのだ。

 そしてもう一つ。ハヤトはクラレットがそんな発言をしたことに驚いた。彼女がこんな発言をしたのは、少なくともハヤトの記憶のなかでは初めてのはずだ。

 今では和らいではいるが、フラットに来たばかりのクラレットは自分から壁を作って、他の人間とは相容れないような雰囲気を作り出していた。が、そんな彼女がフラットの仲間たちを「家族」と呼ぶようになるとは…

「私も変われたんですよ、貴方たちのお陰で」

 口元を綻ばせながら、クラレットは嬉しそうに語る。だとするならば、それは嬉しい変化であろう。

「そっか……、よかったな、クラレット」

 と、そこまで口に出して、自分はどうだろうと自問してみた。けれど、答えは返ってこない。

「………」

 その答えを他人に聞いたところで返ってはこないだろうが、ハヤトは思い切ってクラレットに訊いてみた。

 

「なあ、クラレット」

「はい、なんですか?」

 可愛らしく小さく首を傾げて、クラレットは寝そべっているハヤトの顔を覗きこむ。ぱっちりした紫色の瞳。思い切り視線があってしまい、ハヤトは照れ隠しに顔を背けて言った。

「…俺って何だろうな?」

 元気がないと分かってたとはいえ、いつもは快活な彼の口から出たとは思えないような気弱な発言に、少なからずクラレットはショックを受ける。

 だが彼女は何も言わず、ハヤトの言葉を待った。

「俺ってさ、今まで「普通」に生きてきたんだよな。いや、そりゃあ「普通」に生きることはそれはそれで素晴らしいことだとは思ってる。

 けど、な……俺はそれに妥協してる…っていうかどういえばいいだろ…」

 言葉足らずな自分を歯がゆく思いながら、ハヤトは言葉を連ねていく。

 

「今の俺は、今のままでいいのかな…って思ってさ。もしかしたら、目の前に何かスゴいものがあるかもしれないのに、今の俺は目を瞑ってるのかもしれない。目を開こうとしてないんじゃないかって思うんだよ。

 このまま目を瞑ったまま―――「普通」に就職して、結婚して、老いていくのかなって思ったとき、とても怖くなって……」

 そこでハヤトの言葉を途切れてしまう。ふわりと上半身がクラレットに抱え込まれてしまったからだ。

 

「ク、クラレット…?」

 頭の下にひかれている彼女の膝枕の柔らかい感触と、彼女から香るコロンの香りがハヤトをどぎまぎさせてしまう。彼はクラレットの意図が分からずあたふたと彼女を見上げるだけだ。

「私は…私は、貴方のその悩みに対して何も答えることはできません。だって、それはやはりあなた自身にしか答えを出せないでしょうし。

 けれど、貴方と一緒にその答えを探すことならできるかもしれません。

 大丈夫…私がついてますから、きっと見つけ出すことができますよっ」

 自身ありげにむんっと胸を張って、笑うクラレットに思わずハヤトはふきだしてしまう。

「ぷっ…あっはははっ! どこから来るんだよ、その自信っ!」

「もう、何で笑うんですか!? ……でも、よかった」

 表情を和らげると、クラレットはそっとハヤトの頬に両手を添えた。柔らかく白い指先がすっと彼の肌を優しくなで上げる。

 

「いつもどおりのハヤトの顔に戻って」

「…クラレット」

 

 春のようなふんわりと柔らかい笑みをこぼす彼女を見て、何故かハヤトは温かい気持ちになる。それはクラレットが自分を励ましてくれたのが嬉しいのか、それとも彼女がこうやって傍にいてくれることが嬉しいのか、それは分からないがどちらにしろクラレットが此処にいてくれるこの事実はハヤトを勇気づけていた。

 

 そんなハヤトの顔を見下ろしながら、クラレットはさらに言葉を連ねる。

「私がこんなに変われたのは、ハヤト、貴方のお陰なんですよ?」

「えっ?」

 クラレットの言葉に瞳を大きくして驚いたような表情を浮かべるハヤトは、ただ呆然と彼女を見上げる。

(―――俺のお陰?)

 まさか、と心のなかでハヤトはクラレットの言葉を否定した。ただこの世界に喚ばれて、右往左往して困惑し、ただただ皆に迷惑をかけてばかりだったのに、そんな自分のお陰というのはどうなのだろうか。

「そんな、それは違うよ。クラレットはクラレット自身が変わろうと思ったから変われたんだ。

 だけど、俺は君みたいには変われない。今だってこうやってうじうじ悩んでるだからさ…」

 ハヤトが弱弱しくそう発言すると、クラレットはムッとした表情を浮かべ、彼の顔をパチッと強めに叩いて両手で挟んだ。

「もちろん、今のような弱いハヤトに私は助けられた覚えはありません。私の知っているハヤトは無鉄砲で考えなしに無茶をするけど、人の気持ちを考えられるような優しくて明るい人なんですから。

 ―――私は貴方やフラットの皆さんと過ごしていくうちに、その明るさに惹かれていったんです。だから、私も貴方たちのように前向きに生きられるようになれました。

 閉鎖された混沌から私を救ってくれたのはまぎれもなく、貴方やフラットの皆さん。貴方たちがいたからこそ、私は一人の人間として、変わらないごく平凡な幸せな毎日を送れているんですよ?

 なのに、その貴方が貴方自身を否定してしまったらどうするんです? 貴方に救われた私は? 私が見ていた貴方は幻影だとでもいうのですか? そんなこと、貴方が許したとしても、私が許しませんよ。だから、貴方はもっと貴方に自信を持ってください」

 

 クラレットらしからぬ強引な発言にハヤトは目をまん丸とさせている。そして、彼女は一度大きく呼吸すると、言った。

 

「貴方はハヤト以外の何者でもありません。貴方が私の傍にいてくれるだけで、私は強くなれるし、実際に強くなりました。だから、私は貴方が強くなるために貴方の傍にいます。

 そして、一緒に探しましょう? 貴方の強くなるためのその“答え”を」

 刹那、穏やかな風が二人の間を吹き抜ける。そして。

 

「ク、クラレット…?」                                                                         

「……私だって恥ずかしいですよ? でも、こうすると…温かいでしょう?

 それに二人一緒だっていうことが実感できますしね…?」

 

 照れ隠しに笑うクラレットと、驚きながらもしっかりとそれを感じているハヤト―――ふたりはお互い手をしっかりと握っていた。

 

 

 

 

あとがき

 ということで、ハヤクラSS。…というよりは、ハヤト一人で悩む之図でしたけど。

 何故か、オープニング(第0話)の一人語りで「普通に進学して、普通に結婚して〜」云々の下りがとても印象的だったので、今回はその話です。

 クラス2の「探求者」って、もちろん元の世界に戻るための方法を「探求」する…というのが本来の意味なんでしょうけれど、今回は違う意味でとって、「自分自身」を「探求」する者、ということで「探求者」とタイトル付けをしてみました。(蛇足)

 ちなみに時期的には、クラレットの正体がバレる直前の時期…かなと。でも内容を見てみたら、バレたあとだと思うのは自分だけじゃないはず(苦笑

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