「…クラレット?」

「―――…はい、どうかしましたか?」

 その表情にハヤトは思わず、息を呑んでしまう。

 まるで、今にも彼女が姿をかき消そうとしているほど、儚い笑顔を彼女は浮かべていた。

 

 外はしとしとと雨が降り続いている。止まない雨―――、なぜかそのときだけハヤトはその雨音に憎しみにも近い鬱陶しさを覚えた。ただこの雨ではなく、からりと晴れた晴天ならばこのような彼女の笑みを見なくても済んだ、そう思ったから。

 今の彼女の表情も綺麗だとは思う。けれど、それはハヤトが好きな彼女の笑みではなかった。

 もっと、輝くような―――そう、それこそ晴天のような穢れのない清廉な笑顔こそが彼が好きな彼女の表情だった。

 

 けれど、ここ最近は今のような儚く、見方によっては悲しくも映る彼女の表情しか見てなかった。それは、ハヤトの思い違いかもしれない。だが、それでも彼のなかには違和感が残っていた。最初に出会ったときのような、寂しさを覚えるほどの無感情な表情でもなく、ましてやいつも見せてくれたあの笑顔でもない。今、彼女がハヤトに見せているその表情は、悲しみや痛みを抱えながらもそれを内に秘めているようだった。

 

「―――…何かあったのか?」

 だから、ハヤトは疑問をそのまま口にした。その瞬間、びくりと微かながら彼女の肩が動くのを彼は見逃さなかった。

「―――…いえ、何もありませんよ?」

 繕った笑みを浮かべて、ハヤトの疑問を否定した。それが悲しくてハヤトは表情を強張らせるが、無理を押してまで聞こうとは思わなかった。

 

 彼女は見かけどおり繊細な性質の持ち主で、いたく自己嫌悪に陥りやすいタイプだということは、この一年近くの付き合いで理解していた。ただ、それでもハヤトは悩みを打ち明けて欲しかった。もちろん異性には喋れないこともあるだろうが、少なからずとも彼女が思い悩んでいることはそういうことではないと直感的にハヤトは悟っていた。

 と、これまでのことを振り返って、ハヤトはひとつのことに思い当たり静かにそれを口にした。

 

「もしかして……、バノッサたちのことを後悔しているのか?」

「―――……!」

 その瞬間、ビクッと肩を震わせたのをハヤトは見逃さなかった。それはほんの僅かの揺らぎではあったが、ハヤトに確信を持たせるには充分の証拠だった。か細い肩が震えているのを彼は今にも抱いてやりたかったが、それでは根本的な彼女の心の解決にはならない。それでも何か、言葉を紡ごうとはするものの、結局それはハッキリと形作られない。

 

 ハヤトは軽く息をついて、近くにあった椅子を引き寄せてそれに腰をかけた。

 そんな彼の心情の何かを感じ取ったのか、クラレットは物悲しそうな淡い笑みを浮かべたまま、静かに口を開く。

「―――…大丈夫です、ハヤト。 私はそのことでは悩んでいませんから」

 嘘だ。指摘されたためか今だ動揺が尾を引いているようで、すぐそれが嘘だと分かるほどに彼女の顔は強張っていた。

 ああ、どうしてこの女性(ヒト)は自分の苦悩を己の胸のうちに溜め込んでしまうのだろう。ハヤトはそう言葉にせずとも、そう感じていた。

 

 しばらく沈黙がおりてその場に佇む二人だったが、耐え切れなくなったのかハヤトはポツリと言葉をこぼしていた。

「クラレットさ…、辛いのなら辛いって言ってくれてもいいんだぜ? 俺に出来ることは少ないけれど、愚痴を聞くことぐらいならできるから、…さ」

 なんと傲慢な気休めなのだろうと、ハヤトは内心自己嫌悪に陥っていた。「ソレぐらいならできる」という言葉は、自己を誤魔化すための詭弁に過ぎない。なぜなら、それを換言すれば、逆にソレ以上のことはできないということだ。

 その意味するところは、結局自分の無力さを痛感させられるだけで、クラレットの心に刺さった棘を抜くことはできないということだ。そこまで考えたわけではないが、ハヤトはそれに気付いて後悔の念に駆られた。

「―――……っ!」

「………」

 ふっとハヤトはクラレットから視線を背けてしまう。しかし、彼女はというとそれが分かっていたかのように、寂しそうに微笑むだけで何も言わなかった。

 クラレットも「気にしないで下さい」とは言えなかった。心のどこかでは、彼に慰められたいと言う感情がどこかにあったから。しかし、彼女自身がそれを許してはならない。なぜなら―――…

「…私が無色の派閥の一員だったこと、そして無色の派閥の企みに加担してきたことは消しようもない事実です。

 私が、私という殻を破れなかったばかりにこれまで幾人とも分からない人たちを傷つけ、召喚獣たちを犠牲にしてきました。

 だから―――…」

 それ以上は口にすることはできなかった。本当は、私を慰めないで下さい、と言いたかった。けれど、それでも硝子のように繊細な心の持ち主は彼に助けをどこかで求めていた。しかし、ハヤトはそれに応じることはできない。

 ハヤトがこの世界に召喚されてきたという件についてだけならば、ハヤトもそれを許して彼女の助けになることもできるだろう。けれども、彼女が無色の派閥の一員として行ってきたことについては、ハヤトは口出しをする資格はない。彼がその犠牲者ならばそれもできるだろうが、本当に彼女を許すことができるのは傷ついてきた人や召喚獣たちだけだ。

 

「―――…っ!!」

 クラレットの心を守れない自分がこの上どうしようもなく歯がゆかった。気にするな、過去のことは過去のことだ―――…そう言うことはできるだろう。しかし、その発言をするには、それ相応の責任を背負うということになる。無論、ハヤトにその覚悟がないわけではない。だが、ここでそれを言ってしまえば、今クラレットが耐えている苦悩が全て無駄になってしまうようで、彼は何も言うことができなかった。

 それでも、ハヤトは彼女のことを守りたかった。フラットの一員として、仲間として、パートナーとして…そしてそれ以上の感情に衝き動かされて。

 

 

 本当のことを言えば、そんなこと、ハヤト自身が忘れたかった。

 オルドレイクに弄ばれたバノッサとカノン、そしてクラレット―――、一人の狂人が産み出した悲劇と言う名の絶望と羨望が入り混じった結末をバノッサたちは迎え、クラレットもその悲劇によって人生を狂わされた一人だ。バノッサとカノンを救うことはできなかったが、クラレットだけでも過去を忘れて新しい彼女に生まれ変わって欲しかった。

 けれど、それはもしかしたら彼女に対する侮辱だったのかもしれない。彼女は必死にその罪を背負っていこうとしているのに、そこで甘い言葉をかけてその決意を惑わそうとしているのは、他の誰でもないハヤト自身だった。

 よく考えてみれば、都合がいい話だ。 そうやって悲劇を忘れようとすることで、その犠牲者たちから目をそむけることになってしまうのだから。悲しい出来事を忘れることが何もかもが正しいことではない。その苦痛を背負うことで、新たな災いの芽は刈り取られるから。

 

 それを踏まえてでも、ハヤトは忘れたかった。言い方は悪いかもしれないが、逃げ出したかった。バノッサたちを救うことができなかった自分に対する怒りと痛恨から、そして―――無理矢理にクラレットを逃げ道に誘おうとしていたことを。

 別に逃げることは悪いことではない。しかし、クラレットはそれでも前を向いてその罪を背負おうとしている。それに比べ自分はどうだろうか。ただそれを傍観しているだけで、何かしようともしていない。

 何も出来ないというのは、ただの言い訳にしか過ぎない。たしかに出来ることは少ないかもしれない、それでも出来ることはあるはずなのに。

 そこまで考えると、それまで何もできなかった自分がバカらしくて情けなくなってきた。彼女のためにできることは少ないかもしれない。でも、だからこそ、その全てに全力を注げばいいだけの話だ。

 

「―――…クラレット」

「……っ!」

 ハヤトは立ち上がり、彼女の傍で優しく肩に触れた。はっとクラレットは顔をあげて、ハヤトを見上げた。ごくごく優しげな笑顔―――…あまりの穏やかさに、彼女は涙を流していた。

「さっきも言ったけれど、俺に出来ることは殆どない。 けれど、そんな俺にでもできることはある。

 あまりの辛さに逃げ出しそうになったら、俺が叱ってやる。あまりの重さにつぶれそうになったら、俺が手を差し伸べてやる。

 あまりの悲しみに泣きそうになったら、俺も一緒に泣いてやる。そして一緒に歩こう――、クラレット。

 俺は強くなりたい。君を、そして君の心を守れるぐらいに。 だから、俺にも苦しみを分けてくれ」

 

 彼女の肩を抱き寄せる。あまりにもか細いこの肩には、背負いきれないくらいの業が圧し掛かっている。

 それを全て肩代わりすることはできないし、してはならないことだけれど―――それでも、その苦しみを分けて軽くすることはできるかもしれない。もちろん、ハヤトにはクラレットの痛みの全てを知ることはできない。それで何が変わるとも分からない。

 けれど、せめて彼女の心の支えになることができたのなら、それはきっとクラレットが前へ足を進めるための糧になるだろうから。

 

 無論、苦しみを共有するということはよほどの覚悟が必要である。生半可な覚悟でそれを引き受けたのならば、必ず途中で投げ出すことになるだろうし、それは相手を裏切るということにも繋がる。そして、敢えて彼女と共に、見知らぬ人間からの罵声や怒り、憎悪を受け止めなくてはならない。

 それが苦しみを共有するということだ。

 

 けれど、ふいにハヤトはクラレットとならば一緒に歩いていける…そんな気がしていた。

 過去のことは消すことはできないが、それを糧に前を向いて歩くことならできる。もう二度と同じ間違いをしないように、そして、その苦しみから逃げ出さないように立ち向かう勇気を得ることが出来る。

 

 ただ、クラレットを守りたい。その想いがハヤトを衝き動かした。

 

 

 対してクラレットは、喜びとも哀しみとも取れるような複雑な表情を浮かべた。

「そんな…ハヤトは何も悪くないのに―――…わざわざ悩まないでいい苦しみを背負うというのですか?」

 すると、ハヤトは微笑みを崩さないまま首を横に振った。

「もちろん、相当な我慢がいるだろうね。けどさ、俺はクラレットが独りで悲しい顔をしているほうのことが、辛いんだよ」

「――――……っ!」

 クラレットは泣き笑いの表情で、嬉しそうにハヤトに抱きついた。今まで孤独を抱え、無色の派閥のなかで暮してきた少女は、理不尽な自己の業と運命を背負わされ今だ苦しんでいた。

 そこで初めて出会えたのが、ハヤトという全てを受け入れてくれるパートナーだった。もうひとりじゃない、そう思うと彼女の胸には熱いものがこみ上げて来たのだった。

 

「ありがとう、ございます…ハヤト…っ!」

「いや、大変なのはこれからさ。これからも、宜しく―――、クラレット」

 にこやかな笑みを浮かべて、ハヤトは右手を差し出した。もちろん、彼女もそれを握り返して笑みを浮かべた。

 

 ――――窓から外を眺めると、既にもう雨は上がっていた

 

 

あとがき

 一応通常ED後〜2番外編までの間のハヤクラなんですが…だんだん訳の分からんことになってしまいました。

 まあ、番外編でもパートナーはメルちゃんに責められて愕然としてますし、魔王を送還したあとでも、やはり大分気にしているのではないかなぁと思ってたり。

 シリアスでラブラブを狙おうとしていたんですが、いつの間にかコースが逸れてほんのりダークになっちまいました。

 

 

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