Together

 

 ―――これは夢、だろうか。

 ―――だとしたら、

 

 

 

 ―――悪夢に違いない。

 

 

 

 

 ―――闇、闇、闇。

 どこを見ても、漆黒。まるで視覚を失ったかのように、その闇のせいか遠近も高低も分からない。

 

 

前 後 不 覚

 

 自分が誰なのかも危うく分からなくなるほどの純然たる黒。

 

―――ニゲロ

 

 本能がそう告げる。この場から離れろと、此処は危険だと。

 だが、遠近も高低も分からないような此処からどうやって逃げようとも逃げられない。

 

もがく、もがく、もがく。

 

 それが無意味だと思えども、それを繰り返す。

 

モガク、モガク、モガク。

 

 それが何かを知ることを恐れて、ただその恐怖から逃れようとする。

 

 

 

 その時、ぼんやりと目の前に白い影が浮かびやがり、それはヒトの形をとる。

 

 

 

 ――――ソレは、侮蔑と悲哀の瞳で自分を見つめる彼の姿だった。

 

 

 

 

 そこで意識が覚醒する。

 此処はたしか――エルゴが作り出した異空間。

 ハヤトが誓約者たりうる者として、その資質を確かめるため己の鏡像と戦わされていた。

 自分だけでなく、他の仲間たちも自分の鏡像と対峙している―――もちろん、ハヤトも。

 そして、目の前にはクスクスと笑みを浮かべる己の鏡像が立っている。

 

「おはよう―――いい夢は見れたかしら。クラレット・セルボルト?」

 

「―――っ!」

 

 ――あの闇を見せていたのはコレか。

 私でも知らないうちに握り締めていたナイフを掴む力が一瞬ぎりっと強くなる。

 私とは違う、妖艶な笑みを浮かべたままソレは自分の髪を掻き揚げた。

 

「安心して――他の仲間たちには自分の鏡像と戦うので精一杯だろうから、私たちの声なんて聞こえないわ」

「一体、これは何のマネですか。コレもまたエルゴの試練だと言うのですか?」

 

 内心、鏡像の言葉に安堵しながらも警戒を解かない。

 だが、鏡像はその私の様子がおかしく思えるのか、口元に手を当てて哂う。

 

「試練? そんな生易しいものじゃないわ。 言ってみれば糾弾、かしらね。

 今はこういう試練という形だけど、あのボウヤが見事エルゴたちの試練をクリアしたら、

 今度はエルゴが彼を味方する番だもの。

 彼に害を及ぼすような危険な存在は、彼の傍には置いておけないわよね?」

 

 つまり、ソレは―――私を排除しようとしているわけだ。

 私が何者かは、まだハヤトたちには知られていない。

 無色の派閥の召喚師―――世界を破滅させている組織の人間、極端に言えばエルゴと敵対していることになる。

 引いては、誓約者たりうる者つまりハヤトに対して危害を及ぼすようになるかもしれない。

 私がそんな存在と知らないうちに内に抱え込んでしまっているハヤトたちの代わりに、私を彼らと切り離そうとしているのだ。

 

 

 

 鏡像は言葉を続ける。

 

「でもね、彼が貴方の力を必要としているのもまた事実。エルゴとしてはあなたを排除したいわけだけど、エルゴの王として認められるかもしれない彼が必要としているのなら、それはできない。

 だから――貴方には自分の闇を乗り越えてもらって、その危険性を排除してもらうわ」

 

「――それを私が素直に受けると思いますか?」

 

「貴方には拒否権はないわ。 拒否すれば永遠に此処に閉じ込めるまでだから」

 

 

 くすりと微笑(わら)ったあと、鏡像はナイフを鞘から抜き、順手でそれを握り締めた。

「―――なぜ、貴女は、真実を彼に話さないの?

 本当に心から彼を信頼しているのなら、相談することで光明が見えてくるかもしれないのに――貴女はそのことを知っているはずよ」

 

 そう問いかけながら、鏡像はタンッと軽く地面を軽く蹴ると一瞬にして私に肉薄する。

 そして、そのまま容赦なく握り締めたナイフを、真っすぐに私の心臓を狙い、鋭く突き出す。

 

 煌く白刃。

 

 擦れ擦れまで近づくその鋭利な尖撃を咄嗟に身を後ろに引くことで、致命傷を回避する。

 しかし、その突き自体は回避はできず、衣服の切れ端とともに右腹の肌を切り裂く。

「…確かに相談できたら一番いいでしょう。けれど――」

「彼に見捨てられるのが怖い?」

「………ッ!!」

 鏡像のまるで私の心を見透かすような物言いに、頭にきて一瞬――ほんの一瞬だが、理性を奪われる。

 その一瞬の隙が、致命的になり得るが――

 

「クラレット、危ないッ!」

 その掛け声とともに私の身を救ってくれたのは―――ハヤトだった。

 彼はその手にした鋼鉄の剣で襲い掛かってきた鏡像の刃を弾き返し、私を庇うように前面に出て相手を睨みつけた。

 鏡像は舌打ちをすると、飛び退いて距離を測り、再び短剣を逆手に構えなおす。

「―――ハ、ヤト…どうして、此処に…?」

 たしか、彼は今自分の鏡像と刃を交わらせていたはずだ。私を助けにくる暇なんてないはずだ。

 だが、私がその疑問を言葉にする前に、彼は私に怒鳴りつけた。

「バカッ! 何やってんだ、クラレット!! 熱くなるなんて、らしくないぜ!?」

 いつもは温和な表情を浮かべているハヤトもこのときばかりは厳しい顔になって私を叱る。

 それだけ先ほどの鏡像の攻撃は危険だったということだろう。

 

 でも、それよりもなによりも、彼が私のことを心配してくれたということがこのうえなく嬉しかった。

 派閥のなかでは誰もが私を魔王降臨の器としてしか見てくれない。それ以上でもそれ以下でもない。

 私の命なんか失われたとしても、魔力の強い召喚師であれば替えが利く。だから、私のことを心配してくれる人も、叱咤してくれる人もいなかった。

 ただ問われるのは結果の是非のみ。道具として生きなければ、派閥の一員として価値がなかった。

 

 けれどこの人は、ひとりの人間として私を救ってくれ、そして心配し怒ってくれた。

「まったく…! いつもは散々人のことを無鉄砲だとか、考えなしって言ってくれてるくせに!

 それよりも…来るぞッ!」

 何が、と私が言葉を返す前にハヤトは私の身体を抱きかかえてただ考えもなく横っ飛びに転がる。

 そしてその直後、私たちがいた場所は紅蓮の炎が迸り地面が焼け焦げていた。

 ふと、見上げてみると一段高い水晶の台の上にはハヤトの鏡像がサモナイト石を掲げていた。

 ―――ハヤトでさえ、いまだ扱いこなせていない上級の召喚術。

 

 召喚師としての直感で、この鏡像たちは素直に強いと思った。だが―――それ以上の力を私たちには秘められているということも確信した。

 いくら強いとは言え、それは己の鏡像。ならば、強いと思えるその差分は自分たちの内面に秘められており、まだそれを引き出されていないということだ。

 

 だから、なぜこの試練はハヤト一人でなく皆で受けているというのかといえば―――

「私たち自身の限界を超えさせるためですか」

 私のこぼした独り言に、鏡像は警戒をしたまま言葉を肯定する。

「ええ、端的に言えばね。けれど、試練だからといって手加減はしない。

 貴方たちを殺すつもりで行きます―――ハヤト」

 鏡像はちらりとハヤトの鏡像を一瞥し声をかける。どうやらふたりで仕掛けてくるようだ。 

 

 ならば、こちらもふたりで迎え撃つのが定石だろう―――って。

「は、ハヤト、いつまで私を抱えてるんですか!?」

 このままでは迎え撃つのに不利だというのもあったが、意識してみるとなかなかに恥ずかしい。

 これではどこかの王子と王女だ―――そう思うと余計に意識していまうのだが。

 おかしい。

 こんなことでは動揺なんてしなかったのに。ましてや今は戦闘中だ。

 戦闘に集中するべきなのに、どうしても散漫になってしまう。

 そして私に意見されたことでようやくハヤトは慌てて私を地面へと下ろしてくれた。

 

「あ、わ、悪いッ! き、気付かなかった―――っと!」

 ―――相手は待ってくれないようだ。今度はハヤトの鏡像が真っすぐ私たちを狙ってその剣を振りかざしてきた。

 咄嗟に反応し、私たちは左右に分散し一度は攻撃を回避したかのように思えた、が。

「銀の対翼を以って静謐なる天空を翔け舞う竜よ―――その盛る浄火にて騒擾の罪を無と帰せ!

 汝が名はワイヴァーン! 灼やせッ!ガトリングフレアッ!!」

 ハヤトの鏡像の背後からは、私の鏡像が喚び出した巨大なメイトルパの翼竜ワイヴァーンが空高く舞いあがり、私たちに向けて巨大な火炎球を無数に吐き出してきた―――!

「くっ―――!」

 私は即座に魔力の障壁を形成し上げる。咄嗟であるためきちんとした形に作り上げることはできなかったが、これで幾分かは軽減できる。

 その巨大な火炎球は次々と私たちへと降り注いできて、大地を抉り焦がす。一瞬でも気を抜けばその猛火により吹き飛ばされその身を灼かれることだろう。

 私は全神経を防壁へと集中させ、少しでも威力を軽減させようと努める。しかし、彼女の召喚術の威力は半端ではない。作り上げていた障壁はどんどん削られていき、そのなかでも強烈な熱波が私の身を襲う。

 ―――熱い。まるで肌がそのまま持っていかれているかのような感覚さえ覚える。このままではあと十秒とも持たない。

 

 しかし、問題はハヤトだ。彼は召喚術の攻撃に慣れていないためか防御もままならないはずだ。先ほどのエルゴたちの話が本当ならば、ある程度の召喚術の攻撃はエルゴたちの加護によって軽減はされるだろうが、本質的な防御は己の手で障壁を作るなり幻実防御するなり手を打たなくてはならない。

 だが、それは上級者の召喚師が行使できる防御方法で、召喚術を習い始めてから数ヶ月とも経たないハヤトには扱えこなせないはずだ。

 今までは内面的魔法力が補助して召喚術の威力を抵抗し軽減することができた。だが、この召喚術の威力はそれでは補え切れない。下手をすれば致命傷にも――――

 そこまで考えた時、ハヤトのことが心配になりいてもたってもいられなくなり、降り注ぐ火の嵐のなか彼の姿を探す。集中が散漫し障壁の崩れる速度が速くなるが、そんなことは構わない。

 いまは一刻も早く彼の姿を見つけ出して助け出さなければ…!

 

 ――――見つけた。

 何といえばいいだろうか、私は呆れ半分、驚き半分でその姿を見つめた。

 彼は防御に徹するわけでもなく、攻撃から逃れるのでもなく―――火炎弾の嵐をかいくぐり敵へと向けて肉薄していた。

「なっ―――貴方という人はどうしてそうっ!」

 考えなしに行動するのか。いや、中途半端に防御に回るよりはこの状況を起因させている本人――つまり私の鏡像を討つほうが良策とはいえる。

 しかし、それはこの猛火をかいくぐることができることを前提とする。たしかに彼は私よりも運動神経に優れているが、レイドやジンガのように武芸を嗜んでいるわけでもなく、ハヤトよりも運動神経に優れている彼らとてこの状況で突撃することは躊躇うはずだろう。

 

 だと言うのにっっ!!

「何をしてるんですか! ハヤトッ! 死にたいんですか!?」

 兎も角、このままハヤトを一人で行かせるわけにはいかない。相手は二人だ。ただでさえ実力を上回る相手を同時に複数相手取るなんて、バカにも程がある―――!

 私はタイミングを計らい防壁を解除し、すぐさまハヤトの後を追いかける。

 すぐ傍を火弾が降り注ぐが気にしない。気にしてしまえばこの足は立ち止まってしまうだろうから。

 

 一方ハヤトは私の鏡像へと迫りその剣を振り下ろすが、その間にハヤトの鏡像が割って入りその剣をかち上げた。

「クソッ!」

 ハヤトは忌々しげに舌打ちをするとクンッと身体を捻り横一閃に彼の鏡像へと向けて剣を薙ぐ。

「タァアアァッ!!」

 怒号とともに放たれる強烈な剣撃を鏡像はバックステップで回避しようしたが、疾い剣の軌跡に追いつかれ衣服の切れ端が持っていかれ、その肌に鋭い傷を残されてしまう。

 ハヤトの連撃はまだ終わらない。次々とバックステップで逃れる己の鏡像に追撃し、斜め、縦、横、と息つかせぬ銀色の軌跡を連続して描いていく。

 

 しかしこのままでは私の鏡像が自由となってしまう。ようやく火炎弾の嵐も終わり、彼女は続けて召喚術を行使しようと詠唱をはじめた。

 ここでそれを許してしまえば、己の鏡像で手が塞がってしまっているハヤトは今度こそまともに召喚術の攻撃を受けてしまうだろう。

 そんなこと―――私がさせない!

 

「たぁあああっ!!」

 私は思うより早く自己の鏡像へと駆け、本来ならば護衛用の短剣を振りかざし彼女へと襲い掛かる。

 勿論、私は短剣の扱いなど同じ短剣を扱うガゼルに比べたらお粗末程度のものだ。だが、それでも彼女への牽制にはなるだろう。

 ハヤトへのサポートができなくなってしまうが、それは彼を信じるしかない。

 ガキッと鈍い短剣同士が打ち合う音が響く。

「―――あら、貴女もかなり無茶をするのね」

「仕方がないでしょう? パートナーである彼が突っ走ってしまうんですから」

 己の鏡像に言われて、私は思わず苦笑してしまう。だが、そんな私を鏡像は真っすぐ睨んで冷たい言葉を投げ放つ。

 

「貴女に彼をパートナーと呼べる資格はあるのかしら」

 

 ―――ズキリ。

 

 胸が痛む。だがそれを表情に出さないよう私は何度も彼女に向けて刃を閃かせる。彼女はそれを何でもないかのように弾き返し、断続的に甲高い音が鳴り響く。それは一種の音楽のようにも聴こえ私を魅了し、それ以外の雑音をかき消してしまう。

 その音楽に乗せて全身が火照る。だが、その熱を冷ますかのように容赦なく彼女は言葉を浴びせる。

「たしかに彼は貴女を信頼しているでしょう。けれど、貴女はどうなの?

 自分が何者かでさえも、彼に話すことができない。それは貴女が自身を彼が受け止めてくれないと思っている何よりもの証拠だわ」

「――――っ!」

 …反論できない。彼女の言っていることは事実だ。

 私の正体を明かせば、あの闇のなかで見たように彼は失望するに違いない―――たしかにそう思っている。

 それは、彼からの信頼を裏切っていることになる。

 

(私は――――最低だ)

 

 だけれど、それでも彼と――仲間たちと一緒にいることは許されないことなのだろうか?

 私のわがままかもしれない。彼らを騙すような形でずっと居続けるなんてできるはずもない。

 それに、私はどう足掻いても無色の派閥の一員だという事実は消せない。

 それでも、私は――――

 

「そうかもしれません…。

 私は、自分をさらけ出すことさえできない臆病者です。

 このまま無色の派閥としての私でいるか、それともフラットの一員としての私でいるか迷っています。

 けれどそれでも私は、望みます。彼と―――ハヤトと共に在ることを!!」

 

 それが今の私の気持ち。

 卑怯かもしれない。派閥と袂を分かつことさえ恐れているのに、彼らと一緒に居るという選択を選ぶのは。

 けれど、せめて私がその選択のどちらかを選ぶ時が来るまで、一緒にいてほしい。

 

 私は、弱いから――――だからその時までは。

 

「彼が誓約者であろうと何だろうと関係ありません。

 私に温もりを与えてくれたのはハヤトという一個人です。

 確かに、初めは魔王としての力を見極めるために彼らと共に行動をしていました。

 ですが、今は――私は彼らの仲間の一人として此処にいます」

 

 そう告げて、私は再び刃を振るう。鋭く突き、切り返す。

 鏡像はなんとかそれを凌ぎながらもどこか真剣な眼差しで私を見つめたあと、私の刃を弾き返し距離をとった。

「分かりました。ならば其の意志を、自らの強さを以って私に示しなさい!」

 すると彼女はサモナイト石を掲げ、サプレスの精霊タケシーを喚び私に向けて紫電を放った。

(―――無詠唱召喚ッ!?)

 宙を迸る電撃。

 不意を衝かれた私は交わしきれず、短剣を手にした右手に直撃する。

 無詠唱召喚は高度の召喚術であり、低度の召喚術でさえ扱うのは難しいとされる。それを難なくこなしてみせるとは――やはり強敵だ。

「ぐっ…――ぁ!」

 痛みで痺れる右手は思わず短剣を取り落としそうになるが、それでも感覚を失った右手はなんとか掴み取って、私は次の攻撃に備える。

「シッ―――!」

 その隙に私に肉薄してきた彼女が次に繰り出してきたのは短剣による連撃。

 痺れる右手は当てにはならない。ならば同じく短剣によるガードは無理だと考えてもいいだろう。

 ならばひたすら回避に徹するしかない。

「クッ―――ハ――ァ―!」

 息を飲み込んで、襲い掛かってくる鋼色の煌きをなんとか交わしつつ後ろ後ろへと跳び避けていく。

 しかし、いつまで持つか。私は体力が少ない。それを考慮すると一分も持たないだろう。

 それまでに手の痺れが回復するか、それとも体力切れで私がやられるか―――どちらが早いか。

 

 しかし、現状は厳しい。既に反射速度も落ちていき、直接大きな傷は与えられていないものの、衣服は刻まれ細かい傷が肌を焼く。

「ハ――ァ、ハッ――ぁ…!」

 息継ぎができない。それほどまでに彼女の攻撃速度は疾く、余裕がない。

 このままでは―――とふと気が抜けてしまったその瞬間、私の胸を狙って横一閃に彼女の短剣が薙ぎ払われた。

 深い傷はなんとか避けられたものの、交わしきれず胸からは血が流れでていた。

「クッ――ハァッ、ハァッ――」

 じくじくとする焼けるような痛みと、酸素が欠乏しているためかズンッと胸が締め付けられるような苦しみが同時に私を襲った。

 その苦痛を少しでも抑えようと胸を鷲掴みにし、咳き込みながらも真っすぐ鏡像を睨みつける。

「どうしたの? まさか、それで終わり…なんてことはないでしょうね?」

「クッ――!」

 あちらは息一つ切らしていない。幸い右手には感覚が戻り始めたが、このままでは応戦する前に彼女にやられてしまう。

 だが、それでも私は諦めるわけにはいかない。ここで自ら戦いを諦めてしまうことは、自分の意志――つまりハヤトと共に在ろうという私の想いを裏切ることになる。

 自分の想いまで、私は―――裏切りたくないッ!

 

「ぁああああぁっ!」

「なっ―――!」

 そう思った次の瞬間、自分でも信じられない行動に出た。

 右手よりまだ感覚の残る左手で彼女に殴りかかっていたのだ。あまりに無謀すぎる。

 だが、その唐突の行動が彼女にとっても予想外だったのか、怯んでいた。

 ―――チャンスだ。逃さない!

 私は避けられた左拳をそのまま自分の懐へと手を伸ばし、一つの透明色のサモナイト石を掲げた。

「出でよ―――砕けッ、ロックマテリアル!」

 鏡像の頭上からは土塊が出現し、容赦なく彼女へと降り注ぐ。彼女は咄嗟に後ろへと跳び退ける。

(―――予想通り)

 唐突とはいえ、攻撃速度の遅いロックマテリアルぐらい彼女なら避けられると確信していた。

 これはフェイント。本当の狙いは―――

 

 私は完全に感覚が戻りきった右手に握られた短剣を真っすぐ彼女の胸へと突き刺した。

「か―は――っ…! な、るほど、ね…ロックマテリアルで土煙を巻き起こし、一瞬だ、け…相手の、視界か、ら自分の、姿を、消した…。

 こ、んな幼稚な手に引っかかると、は…私も、油断しちゃ、ったわ、ね…」

 鏡像とはいえ、胸を貫かれたら行動は不可能になるはずだ。

 

 だが彼女は何故か不敵そうに笑って言葉を連ねる。

「ハ――ァ―、行きな、さい…自分が思うように行きなさい―――

 ……好きなんでしょう、彼のことが…?」

(す、き…?)

 何を言っているんだろう、この人は。予想外な彼女の言葉に私の脳内の回路は止まってしまう。

「女なら好きな、男のひとりやふたり…捕まえてなさい…。

 わから、ない…とでも思った…? 私は、貴女なの、よ? ―――さあ、彼はまだ戦っている。

 ―――ッ追いかけなさい…!」

 私の鏡像はそれだけ呟くと、光の粒子へと分解され空を舞い消えてしまった。

 

(私は、ハヤトのことが好き…?)

 私はまだハヤトを助けなければならない。だから一刻も早く彼のもとに駆けつけなくては。

 なのに、私は呆然とそこへ突っ立っていた。

 好きだなんて感情、今まで抱いたことがなかった。いや、たしかに私は彼のことを大切な存在だとは思っている。

(けれど、好きだという言葉はその、やっぱり、私がリプレやガゼルたちに向ける「好き」とは違う……のかしら)

 そこまで思うとやはりそれは特別な感情だと気がついて、なぜだか胸の奥がかぁああと熱くなったような気がした。

 

 ともかく、今はハヤトのところへ行かなくては。

 しかし……彼女の言葉を受けてからどうしても頭のなかに彼の顔が否が応にも浮かんできてしまう。

 彼を意識せずにはいられない…上手く彼を助けることはできるのか。

 一抹の不安を抱えながらも、私はただひたすらに彼のもとへと疾駆した。

 

 

 

 

 響きあう剣の甲高い音。ハヤトは満身創痍の身で、己が鏡像と打ち合っていた。

「そろそろ諦めたらどうなんだ? 実力の差は歴然としているだろうに」

 冷徹な言葉を浴びせる鏡像の言葉を無視して、ハヤトはひたすらに剣を打ち下ろす。だが渾身の一撃でさえも鏡像は軽く受け流し、それを嘲笑うかのように冷笑を浮かべる。

「―――バカ言えよ。俺のための試練だろ? みんなが頑張ってくれてるのに、どうして俺だけが諦めることができるんだ――よッ!」

 ハヤトはさらに鋭い一撃を放つ。だがそれすらも、鏡像は容易く受け流してしまう。

 既に剣を握っている力は弱くなっている。動きも鈍く、気を抜けば倒れてしまいそうだ。

「ならば―――諦めさせてやる」

 鏡像はハヤトの一撃を己が剣で切り払うと、大きく剣を振りかぶり叩きつけるかのように強烈な一撃を放った。

(な―――っ!?)

 ハヤトはなんとかその一撃を剣にてガードするが、まるで斬撃そのものを喰らったかのように、全身に体躯が吹き飛ばされそうなほどの衝撃が走り渡る。

 これでは反撃どころではない。強烈な衝撃は受け止めた剣を伝って両手を麻痺してしまった。

 まるで烈風を思わせるような一撃――断頭台と呼ばれたラムダの剣撃と同じ程の威力を持つそれは―――

(絶対攻撃―――!?)

 ハヤトも剣を扱う上で、レイドやラムダから聞かされたことがある。重く鋭い剣撃を放つことによって、相手の反撃を無効化にさせる一撃。

 力任せに放つことでは決して成らず、力以上に技術が要求される剣撃は手馴れた剣士でさえも修得するのに困難とされている。

 だからハヤトは半ば眉唾物として捉えていたのだが、今実際にそれを目の当たりにして、困惑している。

「ふん―――驚いたか? だが、もうお終いにしてやる―――」

 言うが否や鏡像は鋭く剣を切り返し、ハヤトの手にしていた剣を弾き飛ばした―――

 

 

 

 私が駆けていくと、ようやくハヤトの姿を捉えることができた。百メートルほど先だろうか。

 彼は己が鏡像と剣を交わしていた。早く、彼に助勢しなければ。

 一見互角に打ち合っているように見えるが、その実は、ハヤトが繰り出した剣撃を鏡像が受け流しているというだけのものだった。

 おそらく、鏡像はハヤトの隙を見て少しずつ攻撃を加えていっているのだろう。現に流血はしていないようだが立っているのも一苦労しているように見える。

 このままではいつハヤトが倒れてしまってもおかしくはない。ここから有効範囲に入る手持ちの召喚術は―――シャインセイバーにダークブリンガー…それに回復の聖母プラーマ…か。

 ならば―――…!

 

「古の混沌と自由を司る五つが魔剣よ―――」

 私はダークブリンガーの召喚詠唱を始める。急げ――ハヤトが倒れてしまう前に!

「汝らの手により、真理を束縛せしむる陽の鎖を―――」

 鏡像がハヤトの手にしていた剣を弾き飛ばす。焦るな―――私が失敗すれば其れこそ彼の命取りになってしまう。

「断ち切らんと欲す―――! 汝が名はダークブリンガー!切り裂け、闇傑の剣よッ!!」

 すると私の頭上からは空間が歪み、五つの様々な形の漆黒の剣が現われた。

 私は即座に掲げていた右手を鏡像に向けて振り下ろし、五つの魔剣を放った。

 

 鏡像が此方に気がついた時は既に遅く、五つの魔剣はくるりと宙で回転すると、大地を割りながら彼へと向けて突き刺さった。

 その突如の攻撃に驚きながらも、ハヤトは此方に気付いた。

「クラレット――そっちは大丈夫だったのか!?」

「ハヤト、まだ彼は斃れていませんっ! 早く此方に!」

 ハヤトは私の意図することを理解してくれたようで、即座に落ちた剣を手にすると私の元へと走ってきた。

「大丈夫ですか、ハヤト!?」

「ああ…大分、やられたけど―――っ来る!」

 クルッと振り返り、ハヤトの鏡像を見る。さすがに先ほどの一撃だけでは大したダメージは与えられなかったようだ。

 だが、彼の身体はふら付いている。ハヤトはそれを不思議そうに眺める。

「どういうことだ…クラレット?」

「ダークブリンガーの付加効果ですよ。折角教えて差し上げたのに、忘れたんですか?」

 そう、私がダークブリンガーを選んだ理由は、その暗闇効果にある。

 シャインセイバーでは焼け石に水だろうし、かと言ってプラーマでハヤトを回復しても此方に気付かれて先に私がやられてしまっていたかもしれない。

 そして残された選択肢がダークブリンガーだった。

 ダークブリンガーはその魔剣に込められている魔力のためか、傷を与えた者に一時的な視力低下能力を付加させる。

 これは賭けだった。もし、暗闇効果が効かなければシャインセイバーを行使した場合と同じ結果になっていただろう。

 だが、その賭けは成功した。本当に一か八かだったが、失敗したときはその時だ。まあ上手くいったのだからいいだろう。

 ―――って、いつから私はハヤトのような楽観的というか向こう見ずな考え方になってしまったのだろう。

「ふふっ」

 私は苦笑してしまう。

 ハヤトは良くも悪くも私に影響を与えてしまったのだ。まったくもう―――この人は。

 

 私は苦境に置かれているというのに、なぜだかハヤトと一緒に戦えるということがとても嬉しかった。鏡像の言葉を受けたからだろうか、それとも―――いや、今は考えないようにしよう。

 でなければ、恥ずかしさで動けなくなってしまうだろうから。

「ハヤト、行けますか?」

「ごめん――まだ手が痺れて…」

 恐らく、剣を弾き飛ばされたときにその衝撃で麻痺してしまったのだろう。

 早くしなければ、ハヤトの鏡像の視力も回復して此方に向かってくるはずだ。

 どうすれば―――…そうか!

 また一か八かの賭けになってしまうが、やってみるしかない。

「ハヤト―――、一撃に賭けます。難しいでしょうが、剣に魔力を流し込むように集中してください」

「え―――っ」

 私はハヤトの身体に抱きつくように背後から彼の両手に自分の手を添える。彼の身体から温かみが感じられる。

「集中してください。ダークブリンガーの効力もさほど長くないはずです。

 ―――恥ずかしいでしょうが、今しばらくこの体勢でお願いします…集中を」

 そう、私自身、この体勢はなんというか、その恥ずかしいのだが、閃いた考えがこれだけしかないのだから仕方がない。

 魔力を具現化させて、エネルギー波を鏡像に打ち込む。私が閃いたのはこの方法だった。ただハヤトだけの魔力だけでは心許ない。だから、私の魔力も上乗せしようという考えだが…剣を媒介として、魔力を流し込みエネルギー波を作り出す。言うだけは簡単だが、私もハヤトもこの方法を執るのは初めてだ。だが、要は遠距離攻撃の応用だ。やれないわけはない。

 ―――はぁ、どうしてこうも前向きになってしまったのか。不安要素はたくさんあるというのに、彼と一緒だというだけでそんなことは気にならなくなってしまった。

 まるで、彼のぬくもりが私の不安を拭い去ってくれるかのように。

 

 …今まで知らなかったぬくもりが、今、私は感じていられる。これほど私に勇気を与えてくれるものは、ない。

「ゆっくり、確実にいきますよ。まずこの剣を頭のなかでイメージしてください。

 できるだけ精密に、そして鮮明に―――焦ることはありません」

 そう言って、私も瞳を瞑り頭のなかに彼の持つ剣のイメージを思い描く。

 ―――白銀の光を放つ繊細でありながら逞しい、反する二面を同時に持ち合わせる剣。

「―――よし、できた…と思う」

 頷く。

「では、次に掌から剣全体に魔力を流し込むようにイメージしてください。

 魔力自体のイメージは水でも光でもいいです。兎に角、流れるようなものを。

 剣全体に魔力が満ちると、実際にほんのりと剣を握る掌に温かみが宿るはずです」

「―――分かった」

 流れ行く魔力。ゆっくりとだが、確実に思い描いた剣に満たされていく。

「…」

 ――焦るな。

「………」

 ――落ち着け。

「……………」

 ―――まだ、時間はある

「―――――」

 あと、少し……!

「――――――クラレットッ!」

 来た―――!

「ハイッ…!」

 瞼を開けてみると、そこにはハヤトの剣が白く光り輝いていた。これは十分に剣へと魔力が行き届いている証拠だ。

 私たちは真っすぐハヤトの鏡像へと視線を向ける。そろそろ暗闇の効力が切れかけているのか、彼は私たちの姿を探している。

 

「行くぞ―――クラレット! 俺たちの力をヤツに見せてやるぞッ!」

「――――はいっ!!」

 

 ふたりで剣を天上へと掲げると、一条の光が剣から空へと向かって遡る。

 そして、私たちはその光を伴いながら、掲げられた剣を鏡像へと向けて振り下ろした―――

 

「「いっ―――けええぇええぇっ!!」」

 

…………。

 

……。

 

 

「は――ぁ――」

 反撃がないことと、鏡像の姿が見えないことから、どうやら私たちは彼に打ち克つことができたようだ。

 だが、重なる疲労と傷のためと魔力をとことん剣に注いでしまったためか、私の身体はぐらりと揺れる。

 ああ、身体が地面に落ちるな―――と考えることすら疲れてしまった頭でぼんやりと思っていると、私の身体はすぐに誰かに支えられた。

 ――――考えるまでもない。他の誰でもないハヤトだ。

「大丈夫か…、クラレット…?」

 ハヤトも相当体力を浪費しているようで、息遣いが荒い。だが、それでも私の身体は華奢なのか、彼は軽々と私の身体を抱えあげた。

(―――って、えっ、ちょ、ちょっと、待って!)

 これはもしかしなくてもお姫様抱っこと言われるものではないだろうか。

 あまりにも突然のハヤトの行動に、一気にぼやけていた思考も覚醒してしまった。

「は、ハヤトッ!?」

「大丈夫だよ、ほら、クラレットって軽いからさ」

「あの、そういうことではなくて、ですね…!」

 彼は特に意識していないから平然としていられるのだろうが、私もそうしろと言われたらそれは無理がある。

 だって、私は自分の心の中にある彼に対する気持ちが何であるか徐々に分かり始めてきてしまったのだから。

 言葉にすることはまだ恥ずかしくてできないが、やはり彼女の言っていた「好き」だという感情、もしくはそれ以上の――――

「くすっ」

「ん? どうしたんだ、クラレット?」

「いいえ、なんでもありません」

 今は考えるのは止めておこう。今はただこうして彼の温もりを感じてられるだけで、私は幸せなのだから。

 だけど、せっかくこういう抱き方をされているのだから、お返しにこれくらいはしてもいいだろう。

 

「―――く、くられっと?」

「―――はい? なんですか?」

 とびっきりの笑顔で返す私。その腕はしっかりと彼の首に回されていて、身体を密着させている。

 意識したら顔から火が出るほど恥ずかしいのだけど、すこしぐらい大胆な行動にでないと彼にはこの気持ちが伝わらないだろうから。

 

 

 答えを出したとき、私の傍にいる彼は果たしてあの闇のなかで見た彼なのだろうか、それとも、今のように優しく私を受け入れてくれるだろうか。

 ―――私は信じる。私が自分のことを打ち明けたとき、貴方が笑ってくれることを。

 きっと、貴方は私の闇を照らしてくれる――そう信じている。

 

 まだ私には打ち明ける勇気はないけれど、一緒にいてください。

 貴方の笑顔とぬくもりが私にいつかきっとその勇気を与えてくれるだろうから。

 そのときになったら、私は貴方に言いたい―――

 

ありがとう、と

 

 

「さあ、行きましょう? みなさんも待っていますよ」

「えっ、ちょ、このままで行くのか!?」

「なんですか? ハヤトが私を抱えてくださったんですよ?

 ならば最後まで責任を持って私を運んでください。……私は軽いんでしょう?」

 にこりと笑って余計に彼の身体に自分を寄せる。彼はさらに顔が真っ赤になってしまい、動きもぎこちなくなってしまった。きっとそれは疲れだけではないはず。

 

「さあ―――、一緒に行きましょう…ハヤト?」

「ああ、もう…分かったよ。行くぞ、クラレット!」

 彼は開き直ったかのようにくしゃくしゃに笑うと、地を蹴って私たちの仲間のもとへと駆け出した。

 

 

 

あとがき

 ということでFantasyFanFareさんのところの企画で「ハヤクラ」「戦闘」「ラヴ」のSSでしたー…が。

 しかし、ラブ分がとても少ないような気がする…ハヤクラのつもりが、クラレット→ハヤトになっちまいやがった!!? いや、まあ最後のあたりでハヤトも満更じゃないような雰囲気をだそうとは努力してみたんですが、どうでしょうかなぁ…。

 

 バトルの面では一応満足のいける出来になったかと。ただまあ、ハヤトとクラレットのコンビネーションが最後の一撃だけというのがちょっと悲しい様な気がしないでもないですが、ふたりとも鏡像が相手なので、描写の上では難しくなると思い分けてみました。むぅ、思いっきりハヤクラという枠から外れてるかもしれない…やヴぁっ!

 

 何気に捏造設定が多かったような気も。無詠唱召喚に絶対攻撃と。

 ちなみに脳内ではクラレットさんはナイフで戦ったほうがカッコイイというまさに勝手なイメージが付着しており、召喚術メインより接近戦メインとなっちゃいました。

 

 ちなみに本当にどうでもいい話ですが、鏡像と本物を見分けるために、鏡像の性格を本物とちょっと変えてみました。クラレットの鏡像は妖艶なお姉さん、(出番はほとんどなかったけど)ハヤトの鏡像はクールな青年という感じに仕上げてみました。

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