第五話 せっとあうと
「――なるほどな」
あの男――日向頼音と別れて、灯はユキを連れて自分の住処へと戻った。
すでにデートから帰っていた冥は何も言わずユキを出迎え、シャワーを浴びてくるように勧め、その間に灯から事情を聞きだしていた。
「その男――日向頼音って言ったんだな?」
「あ、ああ…そうだけど、兄貴、あいつのこと知ってるのかよ?」
灯は鋭い顔つきで訊ねる冥に疑問を疑問で返した。
「知ってるも何も…腐れ縁ってヤツだよ。どーりで俺たちの口座を知ってたわけだ…。
まぁ、それはおいといて、厄介なことに巻き込まれたな、お前」
呆れたようなため息をつき、冥は灯が日向から受け取った封筒から一枚の紙切れを取り出しぴらぴらさせる。
「アイツに限って、生半可なことは頼まないからな。どーせ、ロクでもないことが書いてあるんだ、きっと」
すると、冥はその手紙を灯に手渡し、読めと促した。
「はいはい…ええと?
『世界が明け、紅き雄心が地に埋まる時、孤独なる狼を捕まえろ』…?
あれ…これしか書いてない…」
はて、と首を傾げ、どういうことだと言わんばかりに、灯は冥に視線を投げかける。
「『紅き雄心』とは夕日のこと。それが地が沈むんだから夕没以降。
で、『世界が明ける』とは年明け、つまり1月1日、元旦だ。
『孤独なる狼』とは…そいつはそのフォボスってヤツに聞くしかないな。
俺も一応は目星はついてるが、それが当たってるとも確実にはいえないしな」
「す、すげぇな、兄貴…」
灯は、自分にとっては全く分からなかった暗号じみた文章を意図も簡単に解読してしまった兄を思わず尊敬せずにはいられなかった。
「…いや、こいつ昔っからこういう暗号みたいなことをするのが好きだったからな。
まあ、昔のことはいいとして…本当に行くつもりか?
本当にここからは命がけ。最後まであのお嬢ちゃんを護りきると誓えるか?」
じっと真摯な表情で灯を眺める冥。すると、灯は目を瞑りしばらく逡巡したあと、目を開き首を縦に振り頷いた。
「勿論! 紫藤家家訓、第三条!
『女の子には優しく、悪者から守ってやる』…だろ?」
「よし、よく言った。それでこそ、俺の弟だ」
冥はにこやかに笑うと、灯の頭にぽんと手を置いた。
「さて…と、俺は少し野暮用があるから、出かけてくる。
ああ、俺が居ない間にお嬢ちゃんを襲ってやるなよ」
「う、うるさいな!」
くくっと笑うと、冥は玄関の戸を開け出て行った。
午前2時。
暗闇が世界を支配するこの時間。冥は魔剣<ブラッディハンター>を携えたまま、暗闇の中に声をかける。
「さて、と…よくここが分かったな。ミーナ=フォルシング」
「…あなたこそ、よく私がここにいると分かりましたね」
街灯に照らされ、その姿がぼんやりと浮かび上がる。その姿は、あの船で灯たちを襲ってきた女性だった。
「悪いが、暗闇は俺の味方でね。
さて、ここで提案なんだが、俺は女性には乱暴は働きたくないんだ。
できれば、このままお引取り願いたいんだが」
「それは無理ですね」
冥にミーナと呼ばれた女性は、その青い髪を手で背中に回すと、騎士剣<蒼穹>を構えた。
「…じゃあ、少しだけ痛い目に遭ってもらって退散してもらおうか?」
「【血塗れの霧】……貴方の力、拝見させて貰います」
その次の瞬間、<蒼穹>は青白き光を纏い始め、ミーナはその剣を逆袈裟に振り切る。
「発動…!
ヴォーゲ・シュベルツ!!」
螺旋の水の刃が、闇夜を切り裂いて冥に襲い掛かる…が、彼は避けようともしない。
「何も…剣は攻撃のためだけにあるわけじゃないぜ?」
ニヤリとその口元を歪めると、長剣を盾にその水刃を弾いた。
「…ッ!」
その様子にミーナは一瞬怯むが、すぐさま気を引き締めると、地を蹴り跳躍していた。
その跳躍力は人間技ではない――恐らく冥と戦う前から身体能力増幅発動していたのだろう。
一気に冥との距離を縮めたミーナは冥に剣で斬りかかる。だが、その剣戟を長剣を振って彼は止める。
刃を交差させながら、お互い剣に力を込める。
「……発動、カクテュス・サブリメイト!」
「!?」
すると突如<蒼穹>が青白く光り、両者の間に水の飛沫が爆ぜ、冥は吹き飛ばされる。
受身を取った冥はすぐさま、剣を構えミーナに向かって駆け出す。
「くっ…発動、『血散霧惨』…っ!」
すると、<ブラッディハンター>は禍々しいほどに赤黒く光ったかと思うと冥の姿が二重にぶれた。
「せぇえあああああっ!」
彼は――いや、彼らは長剣をミーナに振り下ろし、彼女はまともにその剣戟を喰らってしまい吹き飛ばされた。
それが普通の剣戟なら彼女とてなんとか凌いでいたであろう。しかし、そうではなかった。
「アンタには見えなかったのか?
俺の周りに紅い霧が生じていたのを?
まぁ、幻影みたいなものさ。紅い霧で俺の分身…というか影を作りだして、攻撃。不意をつくにはもってこいの技だな」
そう説明しながら、冥は剣先をミーナに突きつける。
「さて、俺としてはこのまま帰って欲しいんだが」
「くっ…覚えておきなさい」
ミーナは懐から丸い球を取り出すと、地面に叩きつけ割った。すると次の瞬間砕け散った球からは光が溢れ出て、それが晴れたかと思うと彼女の姿は消えていた。
「…チッ、転移晶か…」
冥は暗闇の空を見上げながら呟いた。
そして次の日。
「じゃあ、しっかり頑張ってこいよ!
灯、ユキちゃん!」
「おう! 兄貴も俺がいなくてもきちんと仕事こなせよ!」
「お兄様、お体にお気をつけくださいね」
冥は青空のもと、灯とユキを送り出した。彼らの姿が見えなくなるまで。
「さて、と…俺もそろそろ動きだすとするかな…。
頼音のヤロウ、俺の弟を厄介ごとに巻き込みやがって…いっちょヤツに説教でもしてやらないとな。
睦月もどうせ来るなって言ってもついてくるだろーし…誘ってやるか」
彼はまるでピクニックに行くような軽い口調でそう呟いた。
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